2010.02.11
JGU
エッセイ部門 入賞 無題
佐々木睦彦 さん(東京都・79歳)
「何故だろう」、練習の時は簡単に第一ゲートを通すことが出来たのに、いざ試合になると通らない。「何故だろう」、練習の時には第一ゲートを通した球を第二ゲートもやすやすと通すことが出来たのに、試合になると出来ない。「何故だろう」、試合になると一メートルチョット先の球に当たらない。先輩には「自分の球の芯を打っていない」と云われたが、どうも球を打つ瞬間に目をはなしてしまうようだ。
若い頃から都庁を退職するまで、ゴルフにたしなみ、パットのむずかしさを経験していた。平らなコートで比較的大きな球を打つことなどと、始めるまでは簡単なこととナメていた。だがやってみると打てない。「何故だろう」、疑問に思いつつ、とにかく馴れることだ。数多く球を打つことだと、家の近くに使われなくなった地元チームのコートがあることを良いことに、天気の良い日には連日のように足を運んだ。かれこれ三ヶ月、何とか芯を打てるようになったものの、こんどは打つ強さだ。連日通うコートはクレイのコートです。だが試合で使うコートは人工芝のコート。球の走りが全然違う。第一ゲートを通り、やれやれと思ったら、球は無情にコート外。ライン際の相手の球にうまく当てたと思ったら相手の球や自分の球がコート外に。こんな失敗の繰返しでチームメートに迷惑のかけどおし。
そして更に面喰らうことは、リーダーの指示だ。ここに運べとの指示で球を送る。だがそれからの試合運びが分からない。ここでゲートを通過させるのかと考えていたら、ゲート脇に置けと云う。近くの味方の複数の球を、近くのものから打とうとすると、その球を打たず遠くのものを打てと云う。リーダーの作戦が分からず、試合運びが理解出来ない。どうやら自分が次に打つ順番と、彼我の球の位置を考えてのことと分かるまで、幾試合を経験したことか。第二ゲート通過まで、圧倒的に優勢だったのに、あと五分の声のあと、第三ゲートやゴールポール近くに集めていた味方の球が、第二ゲート通過の相手の二点球に、次々にコート外に運ばれ、アッと云う間に逆転ないし同点にされたこともしばしば。
味方の球をいかに効率良くゲートを通過させるかと云うことだけでなく、時間との兼ね合いもあることも知らされた。
一球の偶然の成功が、一つの失敗が局面を全く違うものにする怖さも知らされた。そして、それに対応するリーダーの作戦がその試合の決め手になることも。この様にゲートボールは、個人の力量、心理だけではなく、リーダーの力量まで問われる複雑で面白いゲームなのだと教わった。
そして試合に勝つにはチームメートとの交流が大事なことも教わった。一つの失敗が、次に続かないように、一つの成功が次に続くように、チームの一員として、どんなサポートがあるのか、その人に合った慰め方、褒め方をどうするのか。
ゴルフは個人競技なので自分のことだけ考えていれば良いが、ゲートボールはこのようにゴルフとは全く違うゲームなのだと知らされ、その奥深さに魅了され今日も又、一人コートに足を運ぶ。うまく打ちたい、その一念で。