2010.02.12
JGU
エッセイ部門 入賞 ゲートボールへの恩返し
井内宏隆 さん(徳島県・36歳)
この出会いが、私の人生を大きく変えるとは夢にも思っていなかった。私の小学校では4年生になると、クラブ活動に入部する必要があった。友達から、ちょっと他とは違うクラブ活動があると聞き、入部した。そのクラブの名前は「ゲートボールクラブ」。
順番が来たら、球を打って、棒の間を通して、球に当たれば踏んで打つ。踏んで思いっきり打てるのが快感だった。ある日、小学校対抗大会が開催された。自信はあったが、一緒に始めた同級生に負けた。本当に悔しかった。それ以降、さらに真剣に取り組んだ。
すると、指導に来ていた人から、「毎日練習しているから学校が終わったらおいで」と誘われるようになった。初めて行くと、お菓子やジュースがいっぱいあった。どんなに食べても怒られない(笑)。それからは、学校の帰りにゲートボール場に行くのが日課となった。
雨の日は練習が休み。雨を憎んだ。それくらいお菓子に、いやいや、ゲートボールに知らず知らずに夢中になっていた。学校が休みの日は、地域の練習時間を調べて、朝から夕方まで自転車で各ゲートボール場に通った。朝5時に家を出て、自転車で走っていると警察官に声をかけられ、ゲートボール場までついて来られたこともあった。
ずっと地域のお年寄りと接していた私は、高校の将来の進路で、自然と「福祉の世界」に行くことが当たり前と考えるようになっていた。今までお世話になった方への恩返しがしたいと思っていたからだ。
そこで、私は、日本福祉大学をスポーツ推薦で受験した。当時の担任からは、「ゲートボールはスポーツではない。スポーツ推薦は無理」とはっきり言われた。しかし、福祉の大学で、ゲートボールがスポーツと認めてくれなければ、本当の福祉は学べない。落ちたら大学には行かないと決め受験した。
大学は、縁もゆかりもない地域にあったが、様々な人のおかげでゲートボールを続けることができた。在学中に、文部科学省の国際交流事業の一環で、ウクライナ・トルコへ普及活動に参加することも出来た。そして、大会の成績やゲートボールへの取組が評価され、大学の卒業式では、学長表彰を受けた。
卒業後は、憧れの存在である「健祥会」に就職した。高校時代、大会で生意気だった私に真剣に厳しく指導してくれたのがきっかけだった。そのおかげで、今は、仕事とゲートボールの両立が出来ている。
さらに、ゲートボールの練習がきっかけで出会った人と職場結婚し、この4月には、長男が誕生予定である。ゲートボールと出会い、ゲートボールで大学に進学し、ゲートボールのおかげで就職し、ゲートボールがきっかけで結婚し子どもを授かった私は、本当に幸せ者。ゲートボールで「礼儀と感謝」を教わってきた私の人生も折り返し地点。これからはゲートボールに恩返しをする番だ。